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稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙台市出身の歌手、ミュージシャン。血液型はO型。身長173cm。
来歴・人物
なかよし幼稚園、仙台市立榴ヶ岡小学校、仙台市立東華中学校、宮城県工業高等学校卒。小学校5年頃から箸を持ってドラムスの真似をしていたという。中学に入り本格的なバンド活動を始め、仙台のライブハウスや横須賀や立川の米軍キャンプ等で演奏を続けるうち、「スーパーポップボーカル」というキャッチコピーで1982年に「雨のリグレット」でデビュー。歌うドラマーのスタイルで話題となる。
レパートリーは他の作詞・作曲家提供による楽曲がほとんどであり、これは1980年代、シンガーソングライターがもてはやされた時期のミュージシャンとしては特徴的である。シングルでの自作曲のリリースは皆無に等しい。初期の池田聡と共通する特徴である。ただ池田と異なり、稲垣の場合は、シングルを見てもよくわかるとおり、編曲家を含めて、きわめて様々な作家が参加しており、その作品は文字通り、作曲家・編曲家の宝庫である。
「思い出のビーチクラブ」(1987年のカナダドライ・ジンジャーエールCMソング)、「セブンティ・カラーズ・ガール」(1989年初春のカネボウ化粧品CMソング)、「APRIL」(1986年三洋電機)に代表される様に、CMソングも好評で、現在もコンスタントにヒットを放つ。特にクリスマスをテーマにした「クリスマスキャロルの頃には」「メリークリスマスが言えない」などは、今やクリスマスの季節の定番曲と化している。
デビュー当初は、東芝EMIとの契約だったが、後にファンハウス(現BMG JAPAN)に移籍し、ファンハウスを傘下にする前のBMGビクター・BMGジャパンを、さらにテイチク傘下のコンチネンタル・レーベルを経て、やはりテイチクエンタテインメント傘下のインペリアルレコードに所属。2007年より、ユニバーサルミュージック・USM Japan(現在は、ユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパン)レーベルに移籍。但し、原盤権は所属事務所であるオー・エンタープライズが管理しており、各レーベルの移籍の際には旧譜の音源ごとの移籍となっている(BMGビクター→BMGジャパン時代を除く)。
硬派で知られ趣味は、ボクシング等のスポーツ観戦で、以前はA級ライセンスを取得して自動車レースに出場(フォルクスワーゲン・ゴルフのワンメイクレースなど)したこともある。足腰を鍛える為、愛車に強化クラッチを取り付けていた。
映画『アイ・ラヴ・ユー』の音楽監修も務め、主題歌・挿入歌を担当している(挿入歌は、同じくテイチク(現・テイチクエンタテインメント)所属のSALAHも担当)。
1986年頃TBSラジオの毎週土曜日23:30から『稲垣潤一BEAT&DRIVE』という、稲垣が一人でDJをする番組があった。
1991年11月19日、コンサートツアー「WILL」(in 日本武道館)が衛星放送(WOWOW)で生放送された。
2001年、『SMAP×SMAP』でSMAPと共演。この年はメンバーの稲垣吾郎が謹慎中でメンバー4人での出演だったため、メンバーに名前を聞かれ、「稲垣です!」と答え、SMAPの名前だけは全て揃う事となった。
2006年には声優・長谷川杏里のデビューシングル「フラグメンツ・ブルー」の作曲を担当した。
稲垣の地元、仙台市を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会員(会員No.11)であり、2007年3月31日フルキャストスタジアム開幕戦(日本ハム戦)で国歌独唱を行った。
[アーティスト名] 稲垣潤一
[タイトル] 男と女 -TWO HEARTS TWO VOICES-
[CD番号] UICZ-4187
[発売日] 2008-11-19
1 Hello,my friend
2 悲しみがとまらない
3 あなたに逢いたくて ~Missing You~
4 PIECE OF MY WISH
5 セカンド.ラブ
6 サイレント.イヴ
7 あの日にかえりたい
8 人生の扉
9 木綿のハンカチーフ
10 秋の気配
11 ドラマティック.レイン
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110001001111011