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鬼束 ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県南那珂郡南郷町出身[1][2]。宮崎県立日南高等学校卒。身長152cm[3]。血液型O型。所属レコードレーベルはUNIVERSAL SIGMA?A&M RECORDS、所属事務所はNAPOLEON RECORDS?烏龍舎(共同マネジメント)。
[編集] 楽曲と世の中の動き
シングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」を発売してからわずか4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、「infection」の歌詞がそれを予見したと取れるような内容であったため、プロモーションが自粛されたというのはよく知られた事例である。その他にも、シングル「流星群」の制作中はしし座流星群が見られる時期であったり、「A Horse and A Queen」をライブで発表する前には、自身が尊敬するジュエルが全治4ヶ月の落馬事故を起こしたりと、楽曲と世相とがリンクしてしまった出来事が複数ある。
どの出来事も楽曲を制作した後のことであり、全て偶然ではあるが、ファンの間で鬼束ちひろの深層的な部分を表す事柄として話される逸話である。しかし本人は、「楽曲と世相とがリンクすることは以前からあったのでショックでもないし驚かなかった」と語っている[2]。
[編集] 所属レコード会社?事務所の変遷と活動休止
前所属レコード会社と事務所を離れた理由について本人は当初はコメントを出さなかったが、2007年にアルバム『LAS VEGAS』をリリースするにあたり複数の雑誌のインタビューでその心境を語っている。
移籍の発端となったのは2003年に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて「「いい日旅立ち?西へ」のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた」「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた」[23]と語っており、「前の事務所ともめ事があってそれで力をなくした」[29]との発言から事務所との作品発売に対する確執があったことも示唆している。一部メディアでは、決別が決定打となったのは『シングルBOX』の発売が関係していると言われていた[30]が、これについては後に本人曰く「契約上の問題」「単に関与しなかっただけ」としている[2]。
また、「育つ雑草」を発売後休養し、Sony Music Artistsを中途で契約終了した件については「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない」[31]としており、「何か問題やトラブルがあった訳ではない」「もっともっと休む時間が必要だった」と語っている[2]。
この契約終了後は活動を休止していたが、活動休止直後に大量服薬による自殺未遂を経験したことを後に明らかにしている[22]。その後も2005年のストーカー被害事件(後述?2005年の箇所参照)もあり精神的に不安定な状態が続き、本人曰く「休んでいる時はただ(精神的に)落ちているだけだった」「リスナーとしての自分は残っていたけど表現者としての自分がまったくなかった」[23]と語っている。2005年に玉井夕海と出会い、翌2006年の映画『もんしぇん』に関わるまで一切表舞台に姿を現すことはなかったが、その間にも友人である歌手のMEGのブログに名前が挙がったり週刊誌の記事に関係者のコメントが掲載されるなど、間接的ではあるが近況が報じられることはあった。
[アーティスト名] 鬼束ちひろ
[タイトル] SINGLES 2000-2003
[CD番号] TOCT-25766
[発売日] 2005-09-07
1 シャイン
2 月光
3 Cage
4 眩暈
5 edge
6 infection
7 LITTLE BEAT RIFLE
8 流星群
9 Beautiful Fighter
10 いい日旅立ち?西へ
11 私とワルツを
12 We can go
13 Castle?imitation
14 守ってあげたい
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110001000110010