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上松 秀実(うえまつ ひでみ、1986年1月16日 - )は、新潟県佐渡島出身のシンガーソングライター。所属レコード会社はトイズファクトリー。血液型はB型。
タイアップ
Dear My Friends
テレビ愛知『a-ha-N varie』2008年10月度エンディングテーマ
テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』2008年10月度エンディングテーマ
一風変わった環境で幼少期を過ごした彼女、母は佐渡島、父は神津島の出身で、両親ともに郷土芸能を受け継ぐ家系で、常に唄と踊りに接していた。
芸能に厳しく、厳格な父だが、彼女の幼少期に両家をはなれ、流しをしながら家計を支える浮き沈みの激しい生活を送ることになり、元々家に帰らない日々の続く父と疎遠になって行き、母親との2人きりの生活が続いた。
15歳の時に歌手になることを決意し、数々のオーディションに応募するようになる
上松秀実 Dear My Friendsは、2008年10月8日に発売、上松秀実のデビューシングルのPV動画。
楽曲の完成度の高さと高い歌唱力は前評判通り。果たして新たなる歌姫誕生!となりますでしょうか?
[アーティスト名] 上松秀実
[タイトル] Dear My Friends
[CD番号] TFCC-89256
[発売日] 2008-10-08
1 Dear My Friends
2 トラウマ
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110000010111001
渡辺 美里(わたなべ みさと、1966年7月12日 - )は、日本のミュージシャン・歌手。本名同じ。京都府相楽郡精華町生まれ、東京都育ち。血液型はO型。身長は158cm(公称)。
東京都立松原高等学校卒。高校時代はラグビー部のマネージャー。高校の先輩に清水信之、EPO、佐橋佳幸らがいる。
1985年、EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)よりデビュー。所属していた芸能事務所Heartlandの先輩でもある白井貴子の成功を受け“第二の白井貴子”としての側面もあったが、1986年のシングル「My Revolution」のヒットにより一躍人気ソロシンガーとしての地位を築く。デビュー翌年から西武ライオンズ球場、大阪球場、ナゴヤ球場などで大規模なコンサートを行い、スタジアムでの物怖じしないパフォーマンスが当時のリスナーに支持を得た。また、ラジオパーソナリティーとしても知られており、TBSラジオ「スーパーギャング」など多数のレギュラー番組を担当。アイドルとは違った形のガールズポップの先駆者的シンガーとして活躍した。
オリコンによれば、シングルランキング1位獲得は2作品なのに対し、一方でアルバムランキングは9作品が1位を獲得しており、このことからしばしばアルバム・アーティストなどと形容されることがある。また、アルバム連続1位獲得年数ランキングでは、松田聖子、中森明菜、B'zと並び、歴代3位(タイ記録)の8年連続1位獲得という記録を持つ。(※歴代1位は松任谷由実の18年連続、2位は浜崎あゆみの9年連続。2007年3月12日付発表)
小室哲哉、岡村靖幸、木根尚登、伊秩弘将、佐橋佳幸、石井妥師など、渡辺美里への楽曲提供をきっかけとして台頭するミュージシャンが多いことも特筆すべきだろう。
[アーティスト名] 渡辺美里
[タイトル] Dear My Songs
[CD番号] ESCL-3130
[発売日] 2008-10-08
1 Lovin' you
2 My Revolution
3 10 years
4 サンキュ
5 素顔
6 BELIEVE
7 ココロ銀河
8 PAJAMA TIME
9 悲しいボーイフレンド
10 悲しいね
11 My Love Your Love-たったひとりしかいない あなたへ-
12 Kiss from a rose
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110000010110010
大沢 伸一(おおさわ しんいち、1967年2月7日 - )は、滋賀県出身のミュージシャン。DJ・音楽プロデューサー・ベーシスト・リミキサー等、数々の肩書きを持つ。血液型O型。
MONDO GROSSOのリーダー。1991年に京都で結成したバンド、MONDO GROSSOのリーダー兼ベーシストとして音楽活動をスタート。1996年、彼以外のメンバーがバンドから脱退、バンド形式としての同バンドの活動に終止符を打つ。以降、様々なアーティストへの楽曲提供、プロデュース、リミックス、そしてアーティストを楽曲のゲストとしてフィーチャリングする等、個人名義のコラボレーション・ユニットとして現在に至る。数々のコラムの中で、自身を「音楽的多重人格者(Musical Multi Personality)」と称している記述が見られる。尚、この単語は大沢伸一自身が自らを呼称する為に使用した造語である。(HMUSIC.JP コラムVol.1他参照。)現在、アーティストのプロデュース・リミックス並びにDJとしても海外に視野を広げるなど、活動は多岐にわたる。
2006年春エイベックス・エンタテインメントに移籍。
2007年秋、MONDO GROSSOとしてではなく、Shinichi Osawaとして初のオリジナルアルバム「The One」を発売。
2008年、安室奈美恵の楽曲「WHAT A FEELING」(アイリーン・キャラの同曲のリメイク)のプロデュースを手がける。
2008年春、浜崎あゆみのリミックスアルバム「ayu-mix-6-GOLD」に参加。
2008年夏、Shinichi Osawaとして初のオリジナルアルバム「The One」のリミックスアルバム「The One+」をリリース、リミキサーには、「FREEFROM FIVE」、「ARMAND VAN HELDEN」、「DE DE MOUSE」などが参加。
[アーティスト名] 大沢伸一
[タイトル] The One+
[CD番号] RZCD-45877
[発売日] 2008-08-24
1 假豚
2 Detonator (Freeform Reform) [Remixed by Freeform Five]
3 Maximum Joy (Van She Remix)
4 Our Song (Song & You Mix) [Remixed by De De Mouse]
5 Push (Alex Gopher Remix)
6 Rendezvou (Crookers Remix)
7 Star Guitar (Alavi Rerox)
8 Dreamhunt (Version by Rubies)
9 Foals (Streetlife DJs Remix)
10 Star Guitar (Popular Computer Remix)
11 Dreamhunt (Shinichi Osawa Remix) [初回盤ボーナストラック]
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110000010011100
和田唱(わだ しょう、1975年12月1日 - )ボーカル・ギター担当。東京都渋谷区出身。文化学院出身。
ほぼ全ての楽曲の作詞作曲を行っている。鼻にかかった甘い声が特徴。その独特のボーカリゼーションからデビュー当時は「日本のビリー・コーガン」と称されていた。
ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。レスポールの使い手で有名。公式サイトでその一部を本人の解説付きで公開している。
父はイラストレーターの和田誠、母は料理研究家でシャンソン歌手の平野レミ。但し、親の七光りを非常に嫌い、公式の場で親の名を出すことはほとんどない。ちなみに、両親とB-DASHのGONGONの両親は、彼らが生まれる前からの友人であったと、共演したイベント「Dinosaur Rock'n'roll」(2007年7月5日)で語っている。
母親譲りのマシンガントークと、オーバーアクションで、失笑を買ったり、MCでカミカミになることもしばしば。
大のマイケル・ジャクソン好き。少年時代から原宿・竹下通りに当時存在したマイケルショップに足繁く通っていた。NONA REEVESの西寺郷太とは「マイケル友達」である。他にもスガシカオ、ゆずなどと親交が深い。
趣味は車の改造、インターネット・オークション。
歌詞の内容どおり、買い物好きで、オフには買い物をしている姿がファンによく目撃されている。
デビュー当初はMEN'S NON-NOなどのファッション誌にも度々登場し、古着スタイル、近年は冬は必ずと言って良いほどモンクレーのダウン・ジャケットを着ている。
林幸治(はやし こうじ、1976年7月24日 - )ベース担当。東京都江戸川区出身。
クールな風貌とは裏腹にメンバー内でいちばんギャグを言い、ライブMCでもよく笑いをとっている。
基本的に夜型の人間で、ブログのアップは基本的に真夜中である。
大の野球好きで、ヤンキースの松井秀喜を観に一人でニューヨークへ行った。
趣味は飲酒・料理・食べ歩き。
吉田佳史(よしだ よしふみ、1970年11月14日 - )ドラムス担当。愛知県名古屋市出身。
TRICERATOPS結成前は「バーニッシュストーン・レコーディングスタジオ」のスタジオミュージシャンであった。当時CHAGE and ASKAのプロデューサーであった山里剛のアシスタントに付き、CHAGE and ASKAのアルバムなどの製作に参加したことがある。
メンバー唯一の既婚者であり、一児の父である。また、幼稚園時代から、彼女歴が途絶えたことがない。
その経験に裏打ちされたドラミングに定評があり、山下達郎や吉井和哉などから賞賛の声が上がっている。
初めて観た映画は『エマニエル夫人』。
建築塗装技士2級を持つ。
スタジオミュージシャン時代、音楽の道を諦め、実家に帰り、ペンキ屋の道に進もうと考えていた矢先、知人の紹介で和田と林に出会い、TRICERATOPSに加入した。
ヘビースモーカーである。
[アーティスト名] TRICERATOPS
[タイトル] MADE IN LOVE
[CD番号] NFCD-27126
[発売日] 2008-10-08
1 SPACE GROOVE I
2 FUTURE FOLDER
3 PYRAMID CRASH
4 PHOTOGRAPH
5 LOONY'S ANTHEM
6 シラフの月
7 COMIC HEROES
8 FOREVER
9 シリンダーの中の夢
10 MILK&SUGAR
11 SPACE GROOVE II
12 MADE IN LOVE
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110000010011111
名前の由来は旧・更埴市のキャッチコピー「あんずの里」より採られた。愛称は「あんりこ」。
井上陽水を尊敬する歌手として挙げている。彼のような独自の世界観を作りたいと考えているようだ。アコースティックギターを前面に押し出したフォークソング調の曲が多いが、彼女の父の影響も大きいらしい。
「私は私をあとにして」までは全面的に吉俣良がプロデュース、編曲を行ってきたが、「春隣」からは岩瀬聡志と西垣哲二のタッグに変わった。このことにより吉俣良が作曲を手掛けた未発表曲(「短話」など)の今後の扱いが注目される。
対人関係に悩んできたため、自他かかわらず“存在”を問い直した詞が多く、特に初期の頃はそのような内容の歌が彼女の代名詞となっていた。この強い疑問を投げかける着眼点は、次第に「戦争」という広い視野が要される分野や、「自立」という積極性を題材とした曲の制作に繋がり、4thアルバムからは「恋愛」について扱うようにもなる。そのため、インタビュアーはこの変化と照らし合わせて、今はどのような立ち位置にあるかということを彼女に問うことが多い。
読書やキャンペーンへの参加を元に詞を書くことも多い。「戦いの矛盾」に収録された「いつか七夕」という曲は、横田早紀江が著した本を読み、実際に“座り込み”の現場へ行って、創られたものである。[1]
[アーティスト名] 熊木杏里
[タイトル] 風の中の行進
[CD番号] KICS-1257
[発売日] 2006-09-21
1 それぞれ
2 一期一会
3 風の記憶
4 明け方の操縦士
5 戦いの矛盾(ALBUM VERSION)
6 囃子唄(ALBUM VERSION)
7 流星(ALBUM MIX)
8 天命
9 ノラ猫みたいに
10 顕微鏡
11 しんきろう(ALBUM VERSION)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110100011100010001